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「自然の中に心を遊ばせて」 : 第一章 : 夏の川 : 抜粋

小さな駅を降りて5分程歩くと、道路の片側に踏みならされた跡が見え、それに沿って下ってゆくと川にたどり着く。この小道に気付く通行人は、まずないだろう。たぶん地元の釣り人だけが知っているルートで、しかもあまり頻繁に通ることはないと思われる。その小道は、とても急なのだが、幸い距離は短い。こんな風にリュックを担いで歩いたのは、もう何年も前のことなので、ちょっと足下がおぼつかないが、すぐに下までたどり着く。そこは、どんと鎮座した大きなごつごつ岩の上になっていて、下草もなく、川の一部を広く見渡せる場所になっている。

一連の小さな冒険物語を書き始めるのに、自分の思うように場所をデザインするとしても、これ以上うまくはできないだろう。谷は深く、壁面は急傾斜でこんもりと木が茂っている。空を見渡すには、大きく首を傾けなくてはならないほどである。目の前の川は、歩いて通れるほどの浅瀬もあれば神秘的なまでに深さをたたえているところもある。緑に覆われた谷の壁面に沿って、様々な姿を見せながら流れている。緩やかになったり急になったり、のらりくらりしているかと思えば荒々しくもなる、というように。対岸には、砂利が幅広く堆積して土手を作っている。おそらく台風の季節に流れが運んで作ったものだろう。一方、私が今立っている側は様相がまるで違う。大きな石ばかりで、丸みをおびているのもあるし、崖から崩れ落ちてきたようなのもある。こうした岩がゴロゴロしている間に、かろうじてテントを張れる程度の小さな平地があり、どうやらキャンプをするにはピッタリな場所らしい。湿気を避ける程度の高さはあるし、夜中に倒れ落ちてくる危険性のある古木が頭上ではためいているわけでなし、しかも、両側にある大きくて角のとれた石が風を遮ってくれそうだ。また、なによりご機嫌なのは、僕の方向感覚が川の湾曲でずれたりしていなければ、早朝の太陽が真っすぐテントに降り注ぐはずという点である。

テントを張るのにかかったのは、ほんの数分。今回の探検にちょうど良いタイプを選んだようだ。これは2〜3人用で、ひとりで使うのにはちょっと大きめだが、これを担いであちこち移動することはないので、運搬の便よりも内部の広さを優先した。テントを張り終えると、リュックを中に放り込んで、我が新王国をパトロールするため川の端の方へ歩き出す。私は、自分の性格を飲み込んでいるので、このキャンプを計画する時点で、いくつかの行動に関する基本ルールを決めていた。こんなに面白い場所にいたら、まず間違いなく夢中で近辺を観察し回ることになってしまうだろう。岩に登って曲がりくねって流れてくる川の向こうを見渡してみたり、あっちにある木立を調べてみたり... 見ておきたい物だらけで、気が付けば動き回ってばかりいて、結局は本来の目的であるところの、ひとりをゆったり楽しむチャンスを失ってしまうことになる。そこで自分に、「10メートルの規則」を課することを考えた。つまり、テントのある場所からそれ以上離れないという規則である。川がその次に曲がったら、どんなに面白い光景が見られそうでも先に進まず、その曲がり角にあるだけの物を見る。だが、あまり窮屈に縛るのもちょっと馬鹿げているようにも思えるので、ちょっと妥協案を編み出した。その辺り一帯の初期調査だけはすることにしたのである。見逃してはならない何かを見損なうことはないと確信を持てるようにし、それが済んだらキャンプをする場所のすぐ近くに行動を制限することにした。

 

地図を見ると分かるが、このあたりを流れる多摩川は真っすぐな部分とS状に曲がる部分とを交互に進む。私がキャンプをする場所は大きなS状カーブの一部にあたり、向かって右から川が流れてくるのだが、高さのある切り立った岩に阻まれて急カーブを切り、ほとんどUターンする形となる。そのあとはゆるやかに進み、深くて丸い池のようになった大淵の中をぐるぐると渦巻くように回転し続ける。この淵の出口は、そこに突き出た巨大な切り立った岩で塞がれているので、「捕われた」場を出ようとする水は、狭いところを身体を押しつぶすかのようにして抜けて行かなくてはならない。やっとそこを抜けると、流れは再び百メートルほど直進し、背丈のある草が茂った礫帯の間の浅瀬を、急な勢いで川底にぶつかりながら下って行く。この直進コースの中程で右側から小さな流れが合流し、坂の終わりにくると、高い崖に囲まれて青々と水を湛える深い大淵へと流れ込む。その中の水は崖に沿って少しずつ右に流れ、やがて私の視界の外へと消えて行く。

私は川岸に転がっているいくつもの大きな石を順によじ登り、高く切り立った大岩まで這い上がる。すると、翌日を過ごす我が家の辺り一帯が見渡せる。今は昼下がりだから、すべてが計画通りに進んで明日の夕方ここを出るとすれば、24時間以上をここで過ごすことになる。幾分雲は多いものの、いまのところは暖かい。丸い大淵の中で絶え間なく渦状に流れる水を眺めていると、どうにも誘惑に勝てなくなった。シャツとジーパンを脱いで突入!飛び込むと、一瞬ブルブルと鳥肌が立つ冷たさだが、感覚がなくなるほどではない。水中に潜ると、ゆるりと身体が引き込まれ、淵を大きく巡回する柔らかな渦に流される。一回りすれば十分。ちょっと力を入れて流れから出ると、下半身を水の中に残したまま、斜面を太陽に曝している岩にのけぞる。暖かい太陽... ひんやりした水... 時は私の前に大きく広がっている... とりわけ何かを考えるということもなく、体を投げ出して腰のあたりでピシャピシャ撥ねる水を感じる。このひと泳ぎはちょっとした清めの儀式、私の冒険の始まりである。 …

 

まもなく、何年も前に体験したことだが、すっかり忘れていたあることを思い出す。薄い生地を寄せ集めて作られた、こんな単純なテントでさえも、自分の置かれた状況を大きく変化させてしまうということである。このシェルターの中にいると、目が見えなくなった人みたいに聴覚の支配力が絶大になってくる。自分を取り囲む環境を布がすっかり遮ってしまい、木の葉を揺する風や落ちてくる雨粒など、音だけがテントの壁を通して聞こえてくるからである。普通の状態ならば、視覚の支配力があまりに大きいので他の器官から伝わってくる情報がほとんど無視されてしまい、目が伝達する内容に付随する背景的な役割しか果たさない。今日この谷間に来たとき、私は絶えず辺りを観察していた。あそこやここに何があるとか、これやあれやが動いているとか、私の目は休むことなく自分に情報を送り続けていた。ところが今は薄いナイロンで目隠しをされ、ほんの少し前まであった感覚を失ってしまったことに気付く。キャンプ地のすぐ脇をうねるように飛沫をあげながら流れる水を見ている時には、単純にひとまとまりに聞こえてくる「音」だったのが、今は、いくつもの楽器で演奏されているかのようにメドレーとなって響いてくる。手前のどこかで大きな岩にぶつかってしぶきをあげながらくだけ散る音、離れたどこかで障害物に阻まれて渦を巻きゴボゴボと吸い込まれるような音。また他のどこかからは、きっと小石の多い浅瀬を流れているのだろう、サラサラという音。他にも、どこから出ているのか分からない音がたくさん聞こえてくる。まるで、人でいっぱいになった広いパーティー会場にでもいるみたいだ。まず聞こえてくるのは、ザワザワとまとまって聞こえてくるおしゃべりの音。でも、目を閉じて(閉じなくちゃいけないだろうか?)耳を澄ますと、ひとつひとつの会話に波長を合わせてゆける。盲目の人たちが生きている豊かな聴覚の世界をかいま見るかのようだ。視力を失わずに、この高度な聴感覚を発達させることはできないものだろうか。目の支配力ってそんなに強力であり続けるのだろうか。

 

もうかなり暖かくなってきて、太陽の下にいると汗ばんでくる。足下の石に触ると熱いくらいで、向かって左側にある淵は深い緑色をたたえて、僕を手招きしているかのようだ。朝から待ち望んでいた泳ぎを開始してもいい頃だろう。リュックの中から持ってきた水中眼鏡を取り出し、水泳パンツを履いて淵の中にすうっと潜る。キャンプをしている場所を取り囲む壁面の岩肌は、ほとんどがギザギザ、ゴツゴツしているのだが、その間になめらかで明るい色の面が混じっている。そういった様々な岩肌が、ひとたび水中に潜ると、ものすごく神秘的で美しく見える。水中まで差し込む太陽の光いっぱいの中を泳ぐと、自分の影が底に映り、届かない岩の隙間の奥の方まで僕の代わりに探検しているかのようだ。

ここには魚がたくさんいる。どれも僕のことを近くまで寄せ付けないので、どの方向に泳いでも逃げて行く魚の尾ひればかりを見ることになる。ふと、ちょっと離れた底の方で何かが動くのに気付く。そっちを向くと、魚の形をした長くて黒っぽい物は岩の間の深みに潜ってしまい、尾ひれだけが見える。30センチくらいあるだろうか、水中ではなかなかはっきりと目測できない。そうか、昨日釣りにきた人が言っていたのは本当なのだ!ここには大物がいるんだ。追跡を続けたが苦しくなって、息を吸うために水面に顔を出す。急いで潜り直したが、魚の姿を見失ってしまった。釣り人たちが来る日も来る日も捉えようとしているのに、こんなに大きくなるまで生き延びたとは、何て素晴らしいことだろう。これほど大きくなるのだから、さぞやたくさん食べてきたことだろうが、危険な餌とそうでないのとを見分ける力を身に付けているのだろうか。魚にそんな知恵が働くものだろうか?そんなこと、とても信じられないが、事実こうして生き延びているのを見ると... 彼の幸運を祈って、これ以上邪魔をしないことにしよう。

 

... でも、それはまだ先のこと。冷たい風がだんだん強くなってきた。太陽は背後の山の向こうにすっかり落ちてしまっているから、もうこれ以上荷造りを先延ばしにはできない。テントを畳むのはほんの数分。細々したものをリュックに詰め込み、キャンプした場所をすっかりきれいにする。小道を塞ぐ茂みをかき分けて通る前に、もう一度振り返ってその場を見渡す。足跡以外には何も残っていない。川は、誰も来なく何事もなかったかのように流れている。ひとりの男がここに24時間いて、立ち上がり、そして去った。その男の存在は、1羽の白いサギが川に沿って飛び、その流れが曲がると見えなくなるごとく、ほとんど周囲に影響を与えることはない。後を残さず、何も変えず。川は、相変わらず、流れ続けている。

私は、小道を抜けて森の中へ... 駅へ... そして自宅に。大満足の一日だった。 ...