デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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別れ

一難去ってまた一難、水道のメーターを見に来た職員が漏水を発見した。水を使っていないのに、微かな流れを示す小さなビスがゆっくりと回っている。はて?

すぐに知り合いの水道屋さんに来てもらう。我が家の状態を知っている彼は、さっと庭木の状態を見回し、先が細くなった鉄の棒を疑わしき場所に突き刺して行く。「フムフム。この辺りだな」そして帰っていった。その翌日は祭日にも関わらず、指示を受けた職人二人が来て狙った場所を掘り始めると、やがて湿った土が出てきた。漏水箇所は思いのほか簡単に見つかり応急処置をしてくれた。

問題はこの原因である。正門前の道路を走る本管から敷地内に入った水道管は、何本ものコノテガシワの行列の前を通過し、イチョウの大木の真下を通ると、直角に折れて再びカエデの真下を通って続いているが、途中でトサミズキやヤツデの根にも絡まれていることだろう。どのような迂回経路を考えても、管を締め上げたり持ち上げたりする大木の根をかわすルートは考えられない。加えてこれが2度目の漏水であることを考慮すれば、何十年も水道の仕事をしている職人たちの、筋の通った助言に従う方が賢明と判断した。今週末にはショベルカーが来て、悪さをしている木を根こそぎ掘り上げることになっている。

今回悪さをしたのは、植えて30年以上にもなる玄関前のカエデの根であった。このカエデ、春に出る赤い若葉は若草色から濃い緑へと変化し、秋には再び赤く染まりそれは美しい。プロペラの形をした種が風にひらひら揺らぐ様子は愛らしく、階段の踊り場からよく覗いたものだった。

話はこの先である。驚いたのは自分の反応だ。悲しいには悲しいのだが思いのほか諦めがいい。60年も生きていれば、つらい別れも何度か体験している。だから体の芯に「別れのあるのが人生」という思いがじっくり染み込んでしまったのか、それとも未練に繋がる神経が麻痺してしまったのか。

庭にこの大木を移植する空間はなく、他に選択肢がないのなら、別れを告げる他ないでではないか。

さて、さっぱりした裏庭にどんな低木を植えようか?

Comments [1]

今晩は!
いつも「百人一緒」で貞子さんのコーナー、読んでいます。
話の起こしからちょっと思いがけない展開、文章のうまさ…
いつも感心して読んでいます。

今回はお気に入りのワイングラスが壊れた話で、引き込まれました。
最後に…悲しみが伝わってきました。

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