デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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点と線

表紙で書きましたように今は年末、彫の作業から時間を捻り出してこの記事を書いています。「自然の中に心を遊ばせて」シリーズが進行中で、 今週は次作の色版を彫り進める作業です。絵はまだお見せできませんが、川の中にある岩の上を水が流れてゆく描写が入っています。岩がとても自然に見えるようにしたいので、表面にある陰や模様を全て何枚もの色版に分けて彫っています。

下の絵は、その中の1枚に使うためにトレースした版下をクローズアップした物です。

小さな点々を見て下さい!しかもこれは、たくさんある色版の中の1枚です!木版画の原理から、ここにある細かな点は全て凸の部分ですから、そこに絵の具が載ってくっきり摺られるよう、きれいに周囲を彫り除かなくてはなりません。

御想像通り、これはとても時間の掛かる作業です。日本中の人たちが年末を向かえて忙しく走り回っている最中というのに、私は今週ずうっと作業場に座って何時間も何時間も拡大レンズを覗きながら何千もの小さな点を彫り続けているのです。

一体これは意味のある仕事なのでしょうか?他にもっといい方法はないのでしょうか?

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長い歴史の中で、様々な職業の人々は機械に仕事を取られる脅威への直面を余儀なくされてきました。これは二百年くらい昔の産業革命の時代から始まっていますが、誰もが直接この脅威を感じ始めたのは、コンピューターが一般に広まるようになってからのことです。「これは手作業にするか、機械にするか」という疑問が起こる度、ほとんどの場合は解答が明らかです。もしも電話が、昔の様に部屋一杯に並んだ若い女性達の手で一件一件接続されるような状態なら、現代の通信は機能していないでしょうし、現代の町にしても、掘削や運搬をする巨大な機械がなければ建設されていないことでしょう。機械化による効率化があればこそ現代社会が機能している、というのは動かし難い事実なのです。

現代の企業(個人も)が、それまで手動でしてきた仕事を機械なりコンピューターなりに変更しうる機会に遭遇した場合、判断はふたつの点を分析することによってなされることでしょう。機械と手作業ではどちらの方が安上がりが、製品の質はどちらの方が良いか。 今日、機械やコンピューターの機能は非常に優れているので、周囲にある製品はほとんどが以前よりもはるかに高品質で安価になっています。たとえば自動車ですが、非常に効率が良くなっています。昔は頻繁に故障して、維持に掛かる手間が大変だったことをご記憶のことでしょう。

そして、末端分野とも言える木版画の世界でさえも、機械的要素はだんだんと忍び寄ってきているのです。吉田一家(博と遠志)によって生み出された有名な版画の多くは、版木に彫らず、機械を使って簡単に素早く金属版に絵を写して作られているのです。また数年前には、ある文具店で、レーザー光線を使って彫られた廉価な年賀状制作用の版木が売られているのを見たこともあります。

ですから、ここにある点々模様を機械で安価に彫る技術は存在するのですし、仕上がった作品も手彫りに引けを取らないか、あるいはもっと上手かもしれないのです。それに、節約されて浮いた時間でもっと他のことができるかも知れません。こういった事柄を総じて考えて、みなさんはどうお答えになるでしょう。私は機械を導入すべきでしょうか、それとも今までのように手作業を続けるべきでしょうか。

とは言っても、実際のところみなさんに解答など求めてはいませんから、ご安心ください。私は、もう何年も前にこの問いに対する解答を自分で出しているのです。それは、「百人一首シリーズ」最初の作品である天智天皇に取組んでいる1989年の事で、私はまだ未熟な版画家でした。もちろん、それから20年近くも同じ仕事を続けているだろうなどとは、予想だにしていませんでしたが、版画を制作していると、その行程を改善できる案が泉のごとく吹き出てきたのです。

「摺台の角に調整ネジを取り付けたら、ちょっとダイアルを回転させるだけで、簡単に見当を合わせられるだろう」

「彫台の上に、彫刻刀を固定する留め金付きのアームを取り付ければ、真っすぐな線が正確にしかも素早く彫れるはずだ」

「バレンの本体をうまく支える器具を作れば、竹の皮で包むのがずっと簡単になるだろう」

私は、作業の効率を上げるためにこういった道具のひとつも作ったでしょうか?答えは否です。その訳は、「なぜ自分は木版画を作るのか」という何よりも重要な質問を自分に投げかけ、そしてそれに答えを出したからです。それは、昔の職人なら言わないだろうと思えるような解答だったのです。「なんで木版画を作るかって...それが仕事だからさ...人が欲しがるからね。版画を作るのが、僕たちの役割りだからだよ」と。

でも、私の答えはそうじゃなかった。「木版画を作るのは、その行程が楽しいから。それを人が買うかもしれないし、できれば喜んでもらいたいけど」

昔の職人にとって、できるだけ効率良くしかも手早く作るのはとても重要なことでした。もしも、もっと上手に彫れる道具が手に入るのなら、ためらう事なく使ったことでしょう。当然のことながら、実際そうなってきました。木版画制作は印刷機械の発明と発達にすっかり取って代わられてしまったのです。

それでも、私の脳裏に効率などありません。言い続けているように(たいていの人は私が冗談を言っていると思うようです)、「好きな事があるのなら、それをするのに時間が掛かった方が良いでしょう?」

そして正直なところ、年内に終えなくてはならない仕事のために走り回っている、少なからずの人たちは、私と立場を交換しても良いと思うのではないでしょうか?

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