デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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始めが終わって...

この長いシリーズを始めたときには、後にどんな浮き沈みの波が来るかなどということはまるで頭にありませんでした。かなり楽観的に、購入予約はどんどん増えるだろう、100枚作るうちに腕はぐんぐん上がって何ごとも平穏無事に過ぎて行くだろうと考えていたようです。このニュースレターを読み続けていらっしゃる方ならお分かりでしょうが、現実はそううまいこと行かなかったのです。実際、生活していけるだけの予約を得るまでには、何年も掛かりました。

私生活面でも避けられないことが色々起きました。十年前には、私と二人の娘達、子供達の母親と彼女の両親、計6人がこのアパートに暮らしていたのです。それが今、その同じ空間にたった一人が........。

こんな話がありますよね。コップに水が半分入っていたら、「半分しかない」と考えるか「半分もある」と考えるか、私の立場も見方次第でしょう。生活していけるようになるまで何年もかかったのかということですが、実際長かったですねえ。でも、なかなか予約が集まらなかった分、ひとたび購入予約をすると、そのまま続けられる人がほとんどで、大抵の方が終わりまで毎年、予約を更新して下さいました。そして、芳しくない経済状況が続く中、私の生活を支えてくださっています。ですからもう、感謝の気持ちとその喜びは心底からのもので、言葉で言い尽くせないほどです。

また、6人から1人になったということも、一概に否定的なものとは言えないのです。どの親にも、子供達が巣立つ日はいつか来るのですし、私にはそれがちょっと早く来ただけのことなのです。二人の娘達は海の向こうのカナダで、ゆったりと充実した日々を送っていて、日本の教育制度の中で受けるようなストレスはほとんどありません。そして、もしも誰かが、デービッドは一人で淋しいのじゃないか、などとお考えでしたら、それはかなりの見当違いです。隣近所から世界中にいたるまで、たくさんの人達との交流が毎日あって、連絡を続ける時間が足りないくらいです。

この10年間に大きく変わったのは私個人の生活だけではありません。1989年の一月、百人一首の最初にくる天智天皇の試し摺りをしている時に昭和天皇が崩御されました。それ以来、日本の社会は大きく揺れ動いていて、年々それが加速している状況です。

この先10年に何が待ち構えているのか、誰にも知るすべはありません。日々新聞で眼にする記事を全部そのまま真に受けるなら、ひどい不況に陥っていると塞ぎ込んでしまう。どこを向いても不景気や破産や絶望的見通しのことばかりですから。

日本は、今までに何度も激動の時代を乗り越えて来ました。明治維新や大戦終了後も大きな変革の時代で、平穏な庶民の生活は大きくかき乱されました。でも、そんな激動の時代は、ある意味ではまたとない好機でもあります。歴史が語るように、日本は必要に応じて変化して来ました。簡単に適応するというわけにはいかず、ぎりぎり抵抗しますが、ひとたび新しい共通意識が社会の中に芽生えると、誰もが協調して動き始めるのです。

こんな不景気の時にシリーズの終わりを向かえた訳ですが、これはむしろ自分にとって良いのではないかと思うのです。誰もが豊かで楽な時代だと、緊張がなく、どんな版画を作ろうと予約は安易に得られるかも知れないからです。でも今はとてもそれどころではなく、次にどんな仕事をするかじっくりと練らなければなりません。10年間の努力で培った業績にあぐらをかく暇もなく、また振り出しからの出発です。

こんな訳で、あと数週間後に始まる展示会は、百人一首版画シリーズの文字通り最後になりますが、私にとってこれは「始めが終わる」ということなのです。「見習い期間の終了」です。47歳、今私は、版画製作の基本技術を身に付けて新たな門出に立っています。

初回の版画は2月の半ばに仕上がります。魅力を感じて下さる方がいらっしゃると嬉しい のですが.........

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