デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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版元 - 雁屋

そんなにも長く探しまわらないで、その店をみつけることができました。それは、小石川の有名な伝通院の反対側にあると教えられていました。しかし実際は一回その前を通りすぎてまたもどってきて大きく『雁屋(かりがねや) 書肆』と書かれているのをみつけました。店の中で黄色い本の山を整理していた年とった人は最初私のおかしな日本語が理解できないようでしたが、すぐに私が何をしにきたかわかってくださり二階にある仕事場への階段をおしえてくださいました。私が非常にせまい階段を注意深く登っていくあいだ彼はかつて一度も外国人をみたことがないみたいにずっと見ていました。

階段を登りきった所にせまいおどり場があり二つの部屋へと続いています。大きな部屋は、建物の前側に、小さな部屋は後側にあります。どっちに行くかわからないので、そこに立っていると、前の部屋で仕事をしている人が手まねきをします。敷居をまたいで12畳の部屋に入ると 4人の摺り師が仕事をしているのがみえます。彼らの低い摺り台は窓を左にして全部同じ方向を向いています。他の人より年輩の人が早口でぶっきらぼうに私に何か言います。何を言っているか全くわかりません。これは何の言葉だろう。口の中で、もごもご言っているだけなのかな。これは、私が長い時間をかけて苦労して勉強した日本語とはまったくちがいます。しかし教科書的に学んだことが、ここ下町の筋金入りの年輩の職人に通じると思うほうがおかしいですね。私が理解できないのがわかると、むこうを向いて摺りの仕事にもどり何か他の人に言って、大笑いしています。私は、というと次にどうしたらいいかわからなくて困っています。

一人の職人は他の人より若く、まだ10代でしょう、彼が立ちあがり部屋のすみの七輪でお茶を用意しています。他の三人にお茶を出してから私に彼のそばにすわるように手まねきして、私にお茶をすすめます。彼の年やお茶の用意をすることからここの徒弟なのだと想像できますが、やはり彼の話からもそうです。彼はゆっくりと注意深く話し、私達は会話ができました。もう一ヶ月すると彼はまる 2年間ここにいることになり、お正月休みを待ち望んでいます。というのは来年は、新しい人が弟子入りすることになっており、そうなるとお茶の用意をしたり、タバコを買いに走ったり、仕事場をそうじしたり、長時間かがみこんで顔料を乳鉢でつぶしたりしなくてもすむわけです。

その時に彼の弟子時代が終わるわけではなく、その時から独立した職人になるまでには 8年もかかるでしょう。いわれたとうりに仕事をしなければならないのはいやだけど、彼はここで楽しくやっています。きょうは、新しく出される小説のカバーを摺っており、時おり親方が多色摺の美人画のまぶしいばかりの着物を摺っているのを熱望の思いでながめます。もしその仕事をやらせてもらえるとしたら、いい仕事ができると彼は思っています。

私達が楽しく話し会っているのを見て他の人達もリラックスして、少しばかり心を開きます。職人さん達の会話になれてきて、次の数時間はあっというまにすぎていきます。この部屋には、木版画摺り師の商売道具がいっぱいです。桜の版木が壁という壁に立てかけられ、それぞれの摺り台のそばに置いてある低いテーブルや箱は固まったブラシ、顔料の乳鉢、しわになった色見本が、そして部屋の隅から隅に張りわたされた紐には版画をぶらさげてかわかしています。この場所をおとずれるにはちょっと時期がわるかったようです。伝統的な本屋はお正月に出版することが多いので、お正月が近づくとここの職人さんはいそがしくなるわけです。経営者(階下で私が会った人)の要求に応じて、親方の摺り師は、他の摺り師が出来る以上のことを約束せざるをえないでしょう。そして長い長い一日をすごす日が何日かつづくのでしょう。

私達が話している間も仕事は同じペースで続けられていきます。一人の摺り師は山とつまれた紙の最後までくると又全部ひっくり返して、他の色板にかえ、新しい色の乳鉢にとりかえて又摺り始めるわけです。私は時間を覚えておいて、彼が最後まで摺るのにかかった時間を計算すると28分です。彼が言うにはこれは 200枚の紙を摺る標準的な時間で 1枚 8秒です(私がどれくらいかかるか言うのははずかしいから聞かないで下さい) もう一人の摺り師は、こんな寒い冬の日にも上半身裸で仕事をしています。

彼は、つぶし摺りをしておりこれは広い範囲を完全にスムーズに摺るので厚い紙だととても力のいる仕事です。もしバレンの全圧力が紙全体にかからないと、色のうすい部分が出来この版画はだめになります。巨大な鯉が青い滝をのぼっている入れ墨のある背中は汗で光り、腕と胸の筋肉はふくれあがり、会話への参加は時おりのうめき声でとぎれてしまいます。

ある時点で一人の職人さんが私がここに来たわけをたずねます。そして私は彫り師である井上さんに会いにきたんだと説明します。摺り師の方々に熱中のあまりおどり場のむこうにあるもう一つの仕事場のことはほとんど忘れておりました。あの若い弟子の職人さんが私をつれていって紹介してくれます。この部屋の窓は、南向きですが今日は日が照っていなくてそれぞれの仕事台のそばに立っているランプが仕事をしている上にやわらかい光をなげかけています。この人達が彫り師です。ここの男達がとなりの部屋でのはげしい使用に耐えている版木を造ったわけです。

私達が入っていくと、三人のうち二人が顔をあげます。中年の方がドアの近くに座り、その次には私の友達の摺り師の弟子と双子のような若い人が座っています。その後ろで顔を低く下げて鼻が版木にほとんどくっつきそうになっている人が、今日私が訪ねてきた浮世絵の彫り師の親方、井上真七郎さんです。彫り師の仕事台は他の部屋の摺り師の仕事台よりも高く職人が座っている方に向けて低い傾斜がついています。摺り師の仕事台はそれと反対の方に向けて傾斜がついています。井上さんの左の肘は、みがきのかかった仕事台にのっかっており、手は開いて版木にのせており、のばした中指は刃が版木の上を動くのをガイドしています。彼は私達に気がついてなく私達はじゃましないように何も言わないで彼が仕事の手を止めるのをまっています。

彼が彫っている版木は典型的な大きさで 280mm X 400mmですがそのテザインは少しばかりいつものとはちがっています。版木は二つの部分にわかれ、それぞれに着物を着た姿があり、りんかくによって仕切られています。これは一枚の版画ではなくて本の一部分です。この版木は本の 2ページになり、彫りが終わると一枚の紙に摺られ、背中あわせに二つに折られ、他の同じような紙と一緒にとじられて本になります。

摺り師の弟子がその本について私に話します。彼らは、他の仕事の合間にその本の仕事を 2年近くも続けています。それはお正月の時季に特に興味がもたれる詩歌の集成で、彫りも摺りもとっくに終わっているはずでした。切りそろえられて紙は階下で婦人たちによってとじられます。本は 2枚に折られた紙50枚からなり、井上さんはその最後の紙の仕事をしています。彼が顔や文字や他のデリケートな部分が終わると版木を他の彫り師に渡してそこで仕上げられます。これは通常のやり方です。もっとも熟練した彫り師が『頭彫』をして、より若い人が『胴彫』をします。井上さんの仕事はmmのスケールの仕事なので彼のまわりには木の屑がほとんど落ちていませんが、他の部分は他の職人さんの削った木の屑が飛びちらかっています。

ついに彼は仕事を止めて、しばらく刃の先を目を細めて見てから体を横に向けます。私は小さな木の卵型のおけが彼の座ぶとんのそばに置かれているのに気がつきます。焦げ茶色の研石が小さな木の上にのっかって水の上にのぞいています。井上さんは、棒にくっつけた布で研石をぬらして、刃を研ぎはじめます。彼の動作は言葉ではあらわしにくいです。研石を彼の前に斜めに置きます。一方の肘を膝にのせ、そこを要にして刃を持った手を左右に早く動かし、私にはその動作がかすんで見えます。その鋼鉄の刃をもとのようにするのに数秒しかかからず、又元の位置にもどります。もう一つの小さな研石が仕事台の上に置いてあり、彼はこの硬い研石で研ぎ始めます。こんどはもっと時間がかかり刃の両側を何百回も黄色っぽい研石で研ぎます。しばらくして、その結果に満足すると刃を脇に置いて、くつろいで座りパイプを取り出します。

これは私にとってきっかけで、ためらいがちに自己紹介します。私の友達の摺り師の弟子が私のそばにいて、会話を助けてくれます。というのは何と言っているのかわかりにくいからです。(これらの職人さんとの私のコミュニケーションの能力は彼らの年に応じて悪くなるようです) 私達の会話はくつろいだものではありません。彫り師の方々と話すときはいつもそうですが、彼らは彼らの仕事について話したがらないようで、時にはほとんど秘密主義みたいです。それとは反対に私が訪ねた摺り師の方々はオープンで、友好的で、いつでも助けてくださる用意があり非常に違っています。彼がこの仕事を少年の頃に始めて、15年間弟子時代をすごし、長い間に少しずつこの仕事で重んぜられるようになったという事実以上は何も知り得ることができません。私は彼が彫った作品を見たことがあります、そしてそれはほんとうにすばらしいものです。彼は細い髪の線を彫ることが出来、これらはそんなにも細くて摺った時に見えないくらいです。これらの線は太さが少しも違わず、着物の線はそのページの上を流れて、折り紙つきのすばらしい浮世絵の有名な『歌うような線』となります。

私は彼に彼の仕事についての考えをたずねますが何も答えが返ってきません。彼のほとんどの仕事仲間と同じように、彼の仕事台の上にある版木以外は何も興味がないようです。彼が今彫っている本は私にはとても興味深いものですが、私がその芸術的な真価について彼の考えをひき出そうとしても何もひき出すことができません。私は職人さんを訪ねる時何回もそういう態度に出くわしました。彼らのこの仕事に対する、彼らの態度は私のとはまるで反対です。私は何でも知りたいのです。私は全部やってみたいと思います。彼らはというと、彼らの極端にせまい所に焦点を合わせています。井上さんは出来あがった本を見ることすら興味がありません...が...彫ることができます。

井上さんはしだいにおちつかなくなります。彼は仕事にもどりたがっています。そこで私は話をうちきりましたが、しばらくここにとどまり仕事を見ていてもよいかどうかたずねます。同意も否定も得られませんが、私の友達の摺り師の弟子が仕事にもどり、私はそこに座ったまま可能なかぎりめだたないようにします。私は残りの午後の間中そこに座り、その場面を飲みこみます...その部屋のふんい気を心にやきつけようとします。一番若い彫り師がふりまわす槌のリズミカルな音、のみで削る音、井上さんの刃が木を削るやわらかな裂けるような音。私は本質的に一人で仕事をすることによって今まで学んできたので、この仕事のリズムを聞く機会は、この上のないおくりものです。後で、私の仕事場にもどった時に今日ここで何を見ることができ、何を見たかと思いおこそうとするでしょう。

ついにここを去る時がきて、皆さんのじゃまをしたことをためらいがちにわびます。摺り師の部屋にもどります。ランプがつき、全員が少なくともあと数時間仕事を続けるようです。ここでの『さようなら』はもう少しばかりあたたかく、去り難いおもいで階段をおりはじめます。店はまだ開いており、幾人かのお客さんが、陳列している版画の山をパラパラとめくっています。これらの版画もとても見たいのですが、時間がありません。しぶしぶ離れて家へと向かいます。

それはとてもすばらしい日でした。私は有益なヒントやテクニックをつかむことができましたが、それよりも重要なことは、これらの職人さん達との接触によって私のバッテリーを再充電できたことです。私は、私自身の仕事にもどりたくてたまりません。そして、朝起きた時、私はまっすぐに彫り台に向かうでしょう。朝食はあとまわし。井上さんのデリケートな、しかし確信をもって彫られた線の記憶が、私自信の刃を持った時に目の前にあらわれ、私はそっと刃を版木にあてそして仕事を始めます。私は井上さんが彫っているのと同じ 100人の歌人のイメージを、その同じ 100人の歌人の絵を彫ります。私が最初に作った作品は彼の若い時の弟子時代の努力には比べものになりませんが、私の 100番目の版画は....どうなるでしょうね。

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ああ、井上さんが暮していたのは、今や時のかなたの世界です。でもきっとこういったことがあったに違いありません。1774年にはカメラは存在しませんでした。ここに載せた写真は私の仕事場で撮られたものです。

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