さあできました、初回摺物アルバムの最終作品です。このアルバムのためにずうっと以前からとっておいたものです。この絵を見つけたのは実際のところ2年前のことで、それいらい作品にする日を心待ちにしていたのです。原画は今から200年以上も前に磯田湖龍齋が描いています。左上に「鴛鴦の 衾やさむき 契かな」と歌がありますね。日本で鴛鴦は仲の良い夫婦の象徴とされていて、つがいは一生涯連れ添うように言われていますが、現代の研究調査が示すところによると実情はそうでもないらしいのです。どうやら代りになる新しいシンボルを見つける必要がありそうです。私には、これといって適当な代りはまだ思いつかないのですが...。
ところで、落款の署名がちょっとおかしいと思いませんか。「湖龍」と書かれていますが、これは間違いでしょうか。彫師が作者の名前の一文字を彫り忘れたのでしょうか、それとも湖龍齋はこんなふうに署名することがあったのでしょうか。私にはさっぱりわかりません。でもおそらく...わざとこんなことをしたんです!きっと200年後に私が何をするかわかっていて、それに自分の名前を使われちゃいやだと思ったんです!
もっと詳しく説明しましょう。今みなさんが手にしている版画は彼が考えたものと違うからです。百人一首シリーズでもそうでしたが、私は原画にない色をかなり追加しました。墨版といって、湖龍齋の筆で描かれた墨線を彫った版は原画とまるで同じですが、その後の色摺りを原画がたったの3色のところを私は20色使ったのです。ですから、この版画を全体として見ると20世紀前半の「新版画」風の雰囲気をもつように変化しているのです。湖龍齋がこのやり方を一体どう思うかは推測するしかありませんが、私はあまりこのことは気にかけていません。私はただ単にこの絵を復活させたかったのです。それも、当時の摺師には叶わなかったやりかたで...。
版画を作る場合、何色にするかはふたつのことに関係してきます。それは芸術面と経済性です。この版画の場合、こうして色を増やす事によって絵がよくなるのは明らかです。オシドリの羽色は単純でなく、色彩の豊かな生き物ですから。湖龍齋がこの墨下絵を描いたときには、もちろんこのことは承知でした。ではなぜ、20色使わなかったのでしょうか。答えは明らかに「お金」です。色がひとつ増えるということは、版木にかかる費用が増え、彫師に払う費用も増えるということです。そして摺師が全色を摺るのにかかる時間も出費となって嵩んできます。おまけに、かかる時間も確実に長くなるのです!
私はこの版画を200枚摺りました。20色を200枚ですから、4000回摺ったことになります。それも、どこを摺るときにも見当をきっちり合わせて、むらなく摺らなくてはなりません。200年前に、その時の版元がどう考えたかよくわかります。彼ならきっとこう言ったでしょう「20色だって?冗談じゃない!」
この私だって、もしも彫師や摺師を雇ってこの仕事をしなくてはならないとしたら、こんな摺物アルバムなど作りはしなかったでしょう。一枚の版画の値段は高くなり過ぎて誰もシリーズの予約などしないでしょうから、このプロジェクトは実行不可能となったでしょう。でも私は、版元と彫師と摺師の3つの仕事が自分でまかなえて満足です。さすがに、4つ目の下絵を画く仕事だけはどうにもなりませんが。でも運のいいことに、日本の木版画の伝統が豊かなお陰で、なんとかやっていけるのです。
さあ、これで10枚が揃いました。そして次10枚が摺物アルバムの第2となって来月から開始いたします。また参加してください、期待してます!
平成12年1月
デービッド