比類ない江戸時代の木版画名もない職人の技術にほれ込む〜木版画職人 デービッド・ブルさん(2)
日本の伝統的な木版画を制作するカナダ人のデービッド・ブルさん。あくまでもアーティストではなく、職人であることにこだわってきた。しかし、彫りだけ、摺りだけをコツコツ続ける職人ではなく、彫りと摺りと両方、そして企画から販売まで一人でこなすマルチ職人だ。そして、去年からオリジナル作品も手がけて新たな作風にもトライし、職人とアーティストの中間へと1歩踏み出した。
自然を描くオリジナル作品に挑戦中!
デービッド・ブルさん(David Bull)
1989年から10年かけて勝川春章の『錦百人一首あづま織』(以下、『百人一首』)を『百人一首版画シリーズ』として、100点の復刻を完成させたカナダ人の版画職人、デービッド・ブルさん。1作仕上げるごとに、少しずつ自分の技術が上達していくことを実感していた。それと同時に、『百人一首』には使われていない様々な技法を発見しながらも、作品に取り入れることができないことにジレンマも感じていた。
『百人一首』の完成は、気が抜けるほど残念だった。しかしそれは、それまで使うことのなかったかすれ彫り、ぼかしなど、新たな技術を試せるチャンスが来たことでもあった。それからの作品には、それぞれ技術のテーマを持って臨んでいった。素人目には分からない、分かる人にしか分からないかもしれない、細かな、技術的な変化だった。
オリジナル作品で構成される最新シリーズの
『自然の中に心を遊ばせて』。
ブルさんのエッセイもある和綴じの本となっている。
『百人一首』を10年、全50点の『摺り物』シリーズを5年、その後『四季の美人』『版画玉手箱』とシリーズものを計約18年続け、50回近く摺りを重ねて1年以上かけた大作の、懐月堂安度の浮世絵の掛軸が終わった。次の企画をどうしようかと考えたとき、それまで「復刻だけじゃなく、オリジナルはやらないんですか」と何度も言われていたことが頭から離れなかった。
2006年には、
懐月堂安度の浮世絵を版画の掛軸に。
伝統的な方式で表装してくれる職人を
捜して中国まで足を運んだ。
「そう言われることに対して、ずっと私は『ただの復刻をやっているのではない。美しい復刻作品を作っているんだ』と反発も感じていました。私はアーティストじゃない、職人だと。オリジナルを作ることに意味を見出していなかったんです」
ところが、『四季の美人シリーズ』では、自分でも信じられないほど良い仕上がりだった。これ以上のものはできないとさえ感じた。そこで初めてオリジナル作品を作ろうと考える。しかし、実際に取りかかるまでそれから数年を必要としたところに、ブルさんの迷いも感じとることができる。
そして、昨年からついにオリジナル作品のシリーズをスタートさせた。題材はブルさんが大好きな自然だ。
「私は“描いて”いるんじゃなくて、絵を“作って”いるんです。『ここに木を置こう。ここに川を配置しよう』と。腕から生まれてくる絵なんです。版画としてきれいだと言ってもらえると思う」
『自然の中に心を遊ばせて』より、
月を描いた「夏の海」。
これまでの復刻シリーズは線も配色も決まっていたが、自然をベースとするオリジナル作品は、線のない世界に線を入れ、色数も自分で決めなければならない。これまでにない難しさと面白さに取り組んでいる。
最新作の『夏の海』で描く月は伝統版画とは全く異なり、写実を追求。漆黒の闇をベタな黒ではなく、和紙の質感を伴って表情のある闇として表している。そして、その中に、ぽっかりと浮かび上がるように光る満月。白と黒とグレーだけ、しかし9回も摺りを重ねてクレーターの立体感まで表されたリアリティのある月。強く訴える何かがある。
迷ったら鏡の中の自分の意見に従う
元来は分業で行なわれる版画制作だが、ブルさんは彫りと摺りを一人でこなしてきた。企画から販売までも自分でする。
「20年前に練習台として取りかかった『百人一首』の最初の1点ができた時に、買ってくれるという人がいた。このシリーズを作って売るとして、どうやったら生活できるか考えたんですね。単品で売るとみんな小野小町をほしがるから、1年間で10枚作り、人気のあるものとそうでもないものを混ぜてセットにして販売することにした」
最終的に100点仕上げるとはいえ、それは10年先のこと。まだ1点しかできていなかったが、簡単なリリースを付けて、テレビ局や新聞社に送った。「カナダ人が日本の木版画を学び、『百人一首』を復刻する」とあって、すぐに反応があり、たくさんの取材を受けた。しかし、スタートしたころには、お客さんはご近所さん7人だけだったという。
無謀とも思える、大海への船出だ。当初は生活のために英会話教室を続けながら作っていたが、まだ軌道にも乗っていない2年後には教室もやめ、版画1本に集中した。
「百人一首をやろうかと考えたときは迷いました。10年かかるんですよ。でも、他にアイディアが出てくるかもしれないけれど、こんな素晴らしいアイディアはないかもしれない。これをやらなかったら、99歳になってベッドに横たわり、もう何もできないときになって後悔するかもしれない。だから、やろう」とスタートした。
何かを決めるとき、ブルさんはいつも3つの段階を踏む。第1に、やりたいことやアイディアをとにかく全部書き出す。第2にその中でどれをやるか決める。これは難しい、しかし、3つめがもっと難しい、という。それは実行することだ。
そして、最後のステップで最も信頼する人とじっくり話す。その相手は、鏡の中の自分だ。毎日何回も、少なくとも朝と夜は顔を合わせる自分に、しっかり目を見て問いかける。友人や家族に相談することもあるが、やはり最終的な責任は自分にある。鏡の中の自分は嘘をつかない、という。
版画はアートではない、誰にでも手にしてほしいもの
通常、版画には摺った枚数を示すエディションナンバーが記されるが、ブルさんは一切ナンバリングしない。書き込まれるのはサインのみだ。
「その理由を話すだけで2時間かかる」と、言いつつも話してくれた。
「1つ、簡単な理由としては、江戸時代の浮世絵版画に、エディションナンバーなんてなかったということ。1枚だけである絵に対し、版画の本来の意義はたくさん作って、多くの人に広く買って楽しんでもらうためのもの。それなのに、数を限って価値を高めるなんて理解できない。数を限定するためには、摺った後、版木を処分しなければなりません」
自分はそんな“アーティスト”でありたくないのだ。版画を作ることが好きで、気に入った人が買ってくれる、それが幸せ。それだけのことなのだ。
同じような理由で価格を抑えているブルさんの作品を、「安すぎる」と言う人もいる。ブルさんの作品が大好きで、友人などに見せる。すると、必ず値段を聞かれるのだが、安いと言いにくいと言うのだ。しかし、版画は誰でも手に取って楽しめるものでなくてはならない。それが「本来の版画の姿」という気持ちは変えられない。
1905年に発行された雑誌の口絵から起こした『四季の美人』シリーズの「菊の香り」。
100年後、誰かが作品を気に入ってくれたらうれしい
版画を始めて30年、来日してから23年、ずっと独学で版画に取り組んできた。
「そう、技術を盗んできた。『口絵』というジャンルを知っていますか。昔の雑誌の冒頭や付録などでついて来た絵です。僕の最も偉大な先生は明治時代に作られた口絵なんです」
明治の初め、印刷機械が普及したことで、版画職人の仕事がなくなってしまった。最も技術が円熟していた時代の腕のいい職人が余っていたのだ。そこで、1895年ころから約10年間、出版社が職人に口絵を作る仕事を出したのだという。
「歌麿の時代よりさらに腕がいい、信じられないほど素晴らしい技術!」
文字を彫ったラインが滑らかで、筆を置いた強弱はもちろん、かすれも見事に表現されている。また、摺りにも、書き進んで少しずつ墨が薄くなっていくさまや、文の途中で墨をつけ直した様子まで、まるで本当に筆で書いたように再現されている。様々なテクニックが用いられているのだ。
「そんな細かい仕事をしているんです。その口絵の1つを『四季の美人』シリーズで復刻することを考えたんだけど、僕は怖かった。僕は彫りも摺りも両方やっているけれど、どちらも当時の職人のレベルまで到らないのは分かっている。でも、作ってみたい。そして、先人には到底かなわないけれど、納得できるところまではできた、と思ったんです」
最も優れた技術を見本にして学び、その高みを目指して修行してきた。見る人が気付いたり感じたりしてくれなくても、自分の力を全て注ぎ込んで満足できるものができ上がったら、それでいい。
「職人の優れた技が客の目を肥やし、客が職人の技術を引き上げる」と言う。
技術の善し悪しが分かる厳しい目の客がいてこそ、技術が高まっていく。そうでなければ、分からせるように職人自らがさらに上を目指して作品を仕上げていかなければならない、ということだ。
口絵の1枚を取り上げて言う。
「100年以上前、この名もない摺師が、いつか外国人が自分の摺ったものを、尊敬を込めて見る日が来るなんて考えたでしょうか。絶対ありません。でもその摺師の技術が、私の頭と手に入った。彫師もそう。彼らはきっとうれしいと思う」
注文の半分は海外からだ。『錦百人一首あづま織』を持ち、「これは1775年の物です。アメリカが生まれる1年前(独立宣言が1776年)の本を、今、手に取っている。200年後、僕が作った作品を誰かが手にして、作者の名前を見て『デービッド・ブル』?って驚くかもしれない(笑)。もしかしたら100年後、誰かがこの版画を見て、自分もやりたいと思ってくれるかもしれない。そして、私のようにその技法を試行錯誤して見つけるかもしれない。そう考えると楽しいですね」
200年以上前の庶民の本を手に、100年後、200年後に思いを馳せる。時間や場所を超えて感動してもらえる作品を作りたいと思う。
エッセイストでもあるブルさんの近著
『エキゾチックな新宿』と
『A Story A Week』(後者は英文)
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