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比類ない江戸時代の木版画名もない職人の技術にほれ込む〜木版画職人 デービッド・ブルさん(1)

 日本の木版画は、文字や線画だけだった版画に、手彩色などの時代を経て、江戸時代中期に浮世絵師、鈴木春信(1725〜1770)の作品から、多色摺り版画(錦絵)の技法が完成したとされる。このころ、それぞれの色をずれることなく摺ることができる「見当」が完成されたため、際限なく色が使えるようになったのだ。そんな豊富な色使いの木版画に魅了されたカナダ人のデービッド・ブルさん。鈴木春信と同時代の絵師で、葛飾北斎の師匠でもあった勝川春草(1726〜1793)による『錦百人一首あづま織』100点を復刻させたことで知られる。

日本人は版画を見ているようで見ていない

「日本の伝統的木版画を見たことがありますか?」

もちろん、浮世絵版画展など、展覧会には何度か足を運んだことはある。そう答えると、イギリス生まれカナダ育ちの木版画職人、デービッド・ブルさんは、顔をしかめた。

「それでは意味がないんです」

仙人のような風貌で、時に厳しい目。しかし表情豊かに笑いながら説明を続ける。

もともと浮世絵版画などは手に取って眺めたもの。本当の良さが分かるには、版画を机に置いて、窓から入って来る斜めの光で見るべき。もっと言えば障子越しが良いという。

自宅兼アトリエの裏には小川が流れる、自然豊かなところだ。

「そうして初めて、和紙の質感、立体感のある摺り跡、それによる陰翳、絵の具の色合いを感じることができるのです。筆の跡まで再現する微妙なラインや色の乗りまで分かる。彫師(ほりし)の力量、摺師(すりし)の力量が分かるのです。たった1枚の版画ですが、かかわった人たち20人くらいの力が集まってできた作品なんです」

壁にかけてガラス越しに見たのでは、版画なのか、印刷物なのか、カラーコピーなのかも見分けられないこともある。本当の版画の良さが分からないのだという。

江戸時代の浮世絵版画の制作システムは、大まかに言って、版元が企画・販売し、絵師が下絵を描き、彫師が線用や色用の木版を彫り、摺師が摺る、という工程。しかし、そこにかかわっている人たちは、和紙の材料となる楮(こうぞ)から繊維を取る人、紙を漉く職人、ドーサという液を塗って印刷に向く紙にする職人、山桜の木から版木を作る職人、技術に合せて分業する彫師、彫刻刀職人、摺師、絵の具を作る人、バレンと呼ばれる摺る道具を作る職人、……数えきれないほどの職人の力が合わさったものなのだ。そのどれが欠けても版画は完成しない。また、それぞれの職人が最高の仕事をして、初めて最高の作品が仕上がる。「制作にかかわった20人くらいの人」というのはそのためだ。

墨版(線などの黒い部分)は線を残すように彫り、髪の毛などは1ミリに3本の線が入ることも。色用の版は色の部分を残して彫り、色の数だけ版木が必要となる。

「版画は世界中どこにでもあります。でも、日本の伝統的木版画は西洋の版画とも中国の版画とも違う。多色摺りの本が昔、中国から来たことはあったかもしれないけれど、技法は江戸時代の日本人が工夫して時間をかけて確立していった、日本オリジナルです」

摺る色の分だけ版木が必要となる。色数が多ければ裏表に彫ることも。

題材はもちろん毛筆から生まれる表情のある線や、華やかな色合いは浮世絵版画独得のものと言っていい。西洋の版画にはないその美しさにブルさんは惹かれた。

「Beautiful materials、beautiful tools、beautiful technology、beautiful skill!私は、楮で作った和紙、鉋(カンナ)で削った版木、美しく摺り上げる技術、それらが結集した美しい作品を作りたい。版画の善し悪しを絵柄の美しさだけで評価する人もいるかもしれないけれど、私にとっては絵の内容や図柄の美しさのウェイトは数%。もちろん、絵自体に面白さや美しさも大切ですが、版画はただの“絵”ではないのです」

版画の見方にまでこだわってほしいと強く訴えるのはそのためだ。

残そうとしなくても伝統は伝わっていくもの

版木、彫刻刀、バレン、絵の具など、彫りと摺りに使う道具。

たくさんの職人の手を経て生み出される木版画。伝統的な木版画を志す若い人は多くはなく、全体的にも携わる人は少なくなっている。そして、版画自体の制作者以上に、道具を作る職人は激減し、最後の一人というケースも。道具や材料の選択肢もない状況だ。そうやって伝統的なものが消えていくのはしょうがないのだろうか。

「現実問題として仕事がないですから。特に彫師は高齢化していて、若い人はとても少ない……。そういう現状は、『しょうがない』のではなくて、『それでいい』ことなんです。木版画は江戸時代に、版元が量産するために考えた技術とシステム。今のポスターと同じです。それを必要とする人がいないのなら、無理して守ることに意味はありません。印刷機械でも家庭用プリンターでも、同じように再現してくれるものがいくらでも出てくるでしょう。時代や技術の進歩で状況は変わっていく。これは版画に限らないことです」

版元、彫師、摺師、購買者それぞれが多ければ、または作る人と使う人のバランスが良ければ、その周辺の職人にも仕事はあり、版画の世界は生きていることになる。しかし、今はそういう時代ではない。

「日本の伝統的な木版画は本当にきれいです。残していきたい。でも、私は日本の伝統を守っているつもりは全くないんです。私がいつかこの世からいなくなったら、私の技術はそこで終わります。それで構わないと思う」

「伝統を守る」ということは悪い言葉だという。もしなくならないでほしいのなら、それを買うべき、使うべき、だと。それが必要であるなら、守ろうとしなくても続いていく。それが、生きている文化ということだ。

古い版画のコレクションを見せながら言う。

「神保町に行けば買えますよ。安いものです」

消えるものなら消えても良い、そう言うブルさんの言葉とは裏腹に、こんなに美しいものを認める人が少ない社会を憂える叫びが聞こえるようだ。技術が、職人が消えてしまうことをいちばん悲しんでいるように聞こえる。

偶然出会って惹かれた木版画。その故郷、日本へ

ブルさんはエミリー・ブロンテの『嵐が丘』で知られるイギリス・ヨークシャー州の生まれ。5歳の時にカナダのバンクーバーへ移住した。学生時代には音楽に熱中し、フルートを担当。美術も体育も苦手で、消去法で選んだのが音楽だったという。楽器店で働く傍ら、地元のオーケストラで演奏していた。

そんなある日、日本の浮世絵版画と出会った。日本ブームに湧いていた1979年のカナダ。ふと入った小さなギャラリーで見かけたのだ。

「髪の毛などの繊細な線、豊かな色使い。美しさに驚かされました」

その美しさが心から離れず、ほどなく、身近で手に入る道具を使って独学で版画にトライする。楽器店で働きながらギターも作っていたという器用なたちだ。

やがて、カナダで知り合った日本人女性と縁あって結婚。一緒に日本へ里帰りした際には、彫刻刀や和紙を手に入れ、日本伝統の木版画制作に一歩近づいた。数年後には日本に3カ月滞在。版画職人の元を訪ねて仕事を見せてもらい、道具を探して歩いた。

本格的に版画を勉強したい気持ちがつのり、その翌年には家族を伴って日本に腰を落ち着けることになった。彫師や摺師の元を訪ねては教えを請うと、木版画に興味を持つ外国人に、喜んで教えてくれた。まだまだ版画で生活できるわけではない。最初のころは、幼い子供2人をかかえて英会話を教え、木のおもちゃを手作りして売って生活を支えていた。

10年の壮大なプロジェクト『百人一首』の復刻

ブルさんを一躍有名にしたのは、葛飾北斎の師匠でもあった江戸中期の浮世絵師、勝川春章が描いた『錦百人一首あづま織』の復刻(版画などを複写し、それを元に新たに彫って版画を作る)だ。『百人一首版画シリーズ』として1989年から全100点を、たった一人で毎年10点、10年がかりで完成させる1大プロジェクトだ。それは、ブルさんにとって、不安ながらも歩き出した、最初の作品でもあったのだ。

『百人一首』を選んだのは、なにか版画作りの練習台になるものはないかと図書館で相談したところ、たまたま推薦してくれたため。鎌倉時代に藤原定家によって編まれたとされる『百人一首』は、カルタにもなっているほどポピュラーで、尾形光琳や狩野探幽なども描いている。そんな中で、勝川春章は写実的な役者絵で人気を得たように、描かれた人物から性格まで感じ取れる。それが魅力だった。

「他の絵師の作品と比べてみるとすぐ分かるけれど、その時代は顔に表情や個性がほとんどない。ところが春章は人物に『寂しい』などの表情や性格を付けた。他の人の絵と同じような目でも、その中に感情があるんです。今の私たちには当たり前だけれど、ポートレートという感覚がなかった当時の日本ではほんとに珍しいことです」

オランダの古書店から買った『錦百人一首あづま織』。『百人一首版画シリーズ』の制作を進めている途中で入手した。

いろいろ調べて、ブルさんは想像してみた。武士だった春章は身分の高い人の家に入ることもでき、長崎から入って来た油絵など西洋のポートレートを見たのではないか。そして、表情のある描き方もあることを知ったのではないか、と。

「だから、10年間、毎月のように違う人物を彫って、作者や歌のことを勉強していても、ぜんぜん飽きることはなかった。最初は、毎月同じような絵柄の版画なんて、途中で諦めるかもしれない、と怖かったんです。でも、取りかかってみたら、同じ絵じゃなかった。本当に楽しかった。完成した時は、『“二百人一首”あっても良かった』って冗談で、でも半分本気で言っていた」

99歳になって、ベッドに横たわったとき、「ああ、あの10年が人生の中でいちばん充実していた」と思えるだろうと言う。今は、一日、一日が楽しい。しかし、

「最後の日が来たら、きっとそう思うと思う、たぶんね」

古(いにしえ)の技術を模索しながら『百人一首』と共に過ごした10年という短くない月日は、様々な意味で濃い時間だったようだ。

『百人一首版画シリーズ』で、最初に描いた「天智天皇」(左)と、2番目に描いた「小野小町」(右)。

(次回は、制作から販売まで一人で行なう苦労、版画ヘの想いをお伺いします。)

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